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2024/03/29 07:02 |
風林火山鬼の如く。

今の私、何だか胸にぽっかりと穴が開いたような気分です。

大河ドラマ『風林火山』――今夜をもちまして、無事終了致しました。
一話だけ観逃してしまったものの、一年を通してしっかりと見届けました、山本勘助の半生を。
まさに激動の人生。敵か味方かを模索するうちに敵を見出し、すると必然的に味方もできるというわけではあるものの、ふと気付けば敵は味方に味方は敵に。
戦国の世の中は、本当に奥が深いです。数々の英雄が生まれ、そして散っていった――時代の勝者は果たして誰だったのか、そもそも勝者などいるのかどうか……いろいろと、深く考えさせられます。
ドラマとしては――『風林火山』は実に惜しい作品でした。かつての『風林火山』は、数多の大河ドラマの中で今尚『独眼竜政宗』と並び双壁と謳われるほどの傑作。この度は、その『風林火山』を新たにアレンジし、別の角度・発想によって創造した新生バージョン。そしてそれに出演する人々もまた、独特の良い味を持っています。素材も俳優も、申し分がない。ただ、私が惜しいと思ったのは脚本。何か釈然としない、中途半端な印象を受けました。
確かに、発想は面白いと思いました。今まで悪役としてしか語られなかった三条夫人が、今作では最たる善人。逆にヒロイン・由布姫の方が悪玉です。さらに、上杉謙信(このときは景虎ではなく政虎)役としてGacktを起用。他にも、主演俳優達を支えるのは千葉真一や佐々木蔵之助、緒形拳を初めとする名優陣。Gacktはアイドルですが、カリスマ性があります。また、日本文化にも通じているらしいです。だから、私は高く評価したいと思います。ちょっと酔い痴れていたようではありますが。近頃の大河ドラマはアイドルの力に依存しすぎていましたが、今作の配役は申し分ないです。勘助役の内田聖陽さんも、当初私が密かに抱いていた不安を大いに裏切って当たり役でした。未だに絶大なる人気を誇る信長を、固定した俳優に演じさせるのではなくあえてシルエットしか出さなかったことも称賛したいと思います。普通は、あそこで友情出演か何かで有名人を出してしまうところです。信長は、既に存在だけでなくその名さえも魔力を宿していますからね。登場させれば、それだけで物語全体の雰囲気を信長寄りにしてしまうので、彼が主役でもない作品に彼を出すことは大変危険な賭けでもあるのです。
しかし、残念です。どうしてもシナリオが全体的に中途半端な形になってしまいました。あれほど甲斐国を憎んでいた筈の勘助が、ころっと態度を変えて晴信に尻尾を振りだし、晴信は晴信でろくに知りもしない奇人浪人・勘助を前触れなく重用しだすし。勘助が軍師としての才を発揮する――というエピソードが足らず、結局「何故晴信は勘助を歓迎したの?」という疑問が払拭できない状態でした。もっと勘助がその時代において大いに優れ、また大河ドラマの主人公としてのカリスマ性を持っているということを露呈すべきだったと思いました。主人公のくせに、脇役に成り下がっていましたからね。折角あれほどの特異な容姿の持ち主なのだから、森の石松や丹下左膳のような異分子的な魅力を醸し出すことができた筈なのに。ただの柳生十兵衛の真似っ子になってしまったような気がしてなりません。
今回の『風林火山』は、良い話と悪い話の差が激しいです。板垣と甘利、信繁、諸角の討ち死にのシーンは壮絶で良かったのに、たまに変に笑いをとろうとするエピソードや、別になくても良いようなエピソードを紛れ込ませていて、下らなく感じることが多々。確かに笑いの要素も、気晴らしを兼ねてある程度は必要です。でもあまりにも未完成で中途半端で不発な感じでした。笑わせたいならもっと思い切ったことをしてほしかったです。
あと、特殊効果。ミツや由布姫が幻として現れるシーンは、あまりにも子供騙しな感じで、観ていて情けないくらいでした。なんかご来光を背負っていて、いきなり神格化して……美化するにも程があります。彼女達本人に責はありません、ドラマ制作者側が悪いのです。
ただ、リツというキャラに関しては良かったと思います。個人的には勘助とリツのエピソードを増やしてほしかったですが。リツは、とても可愛くて健気で賢くて立場的にもかなり美味しいキャラなのですから、途中から明らかな脇役に下げてしまったのは勿体なかったです。でも、暗澹とした雰囲気の中でも一際太陽のように明るかったリツは、ミツや由布姫とは違う形でのヒロインとして、強烈な印象を持っていました。勘助が妻として、女性として愛したミツとも由布姫とも全く異なって、娘という温かな愛の対象として描かれたリツは、本当に健気で強くて、まさに理想的なヒロインでした。三条夫人に関しても似たようなことが言えます。確かにリツとはタイプが全く違うけれど、彼女もまた意志の強い健気な人物。武士の妻として都から下って来た女性の悲しみ、強さ、そして夫への忠節を通して、日本の過去を描く大河ドラマの裏の部分――刀を手に取り戦場を駆ける男とは対照的に、その男の帰りを待ちながら留守を守る女だけの戦いがありありと描かれていて、とても魅力的に感じました。そうです、戦国時代は男だけの時代ではないのです。その影で生き、影で支えた女の存在あってのものでもあるのです。
物語中、何の為に存在しているのか判然としなかった平蔵というキャラに関しては、最終回を観て少し感想が変わりました。平蔵は、勘助というキャラでは描けない裏の部分を持った、裏勘助的な要素を持った人間だったのですね。別々の道を歩む勘助と平蔵は、しかし「対照的」という言葉が相応しくないほど比較対象にならない者同士でしたが、よくよく考えてみれば彼らは第一話から既に表裏を為す存在だったのです。この場合、どちらが表でどちらが裏なのかは私自身にもよく分かりませんが。
けれど、表裏を為す存在とはいえ、二人はあくまでも互いが互いの対を成している存在なのです。結末は、同じ――たとえその間際に抱いた想いは違えども、勘助が死んだ時点でその分身たる平蔵の運命も決まっていたようなものなのです。……だとしたら、やはり表が勘助で、裏が平蔵か。
それと、もう二つほど惜しく感じたことがあります。それは諏訪の母子に関すること。勘助と由布姫のエピソードは、もはや『風林火山』になくてはならない必要不可欠部分です。あれがなくちゃ『風林火山』は語れません。けれど今回の『風林火山』では、それが実に半端な状態でした。勘助が由布姫を大切に思う理由、由布姫が勘助を信頼する理由が、結局最後まで分からずじまい。だって勘助は由布姫が邪魔だったから殺そうとしたことがあったでしょ。由布姫は勘助に殺されそうになった上裏切られたこともあってめちゃくちゃ憎んでいた筈でしょ。一体何があったのやら……。まぁとにかく、慕う由布姫の忘れ形見である四郎(後の勝頼)を勘助が溺愛するのは分かるとして……最終話での、義信が生き延びることを切に願った勘助が力いっぱいに説得したシーンは一体何なのよ。勘助は結局、三条夫人の息子のことも大切に思っていたわけ? 「道鬼」と名乗るくらいなのだから、ここは心を鬼にして、四郎以外のものに関しては非情に徹してほしかった。今回の勘助はどうも甘い。甘過ぎる。
――とまぁ、いろいろと批判もしてしまいましたが。ここ一年は、『風林火山』は私の生き甲斐でもありました。最終回のシナリオもなかなか良かったです。総集編も絶対録画しなきゃ。永久保存版にしなきゃ。
次回大河ドラマは、多分観ません。またアイドル依存症を発症したよ、天下のNHKは……。

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2007/12/17 00:41 | Comments(0) | TrackBack() | その他(ドラマ)

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