好きな十二国記キャラについて、一人ずつ語りたいと思います。
・中嶋陽子
まさか主人公を好きになるとは思ってもいなかった。
私って、たとえ好きな物語でも主人公のことをあまり好きになれないんです。
でも『十二国記』は例外ですね。
『月の影 影の海』初登場時の陽子は、ハッキリ言ってあまり好きではありませんでした。他人の目ばかりを気にしていて、臆病で怠惰だったと本人も後に自覚しますし。
けれど、平凡な女子高校生だった彼女が、ある日突然異世界へと連れてこられ、おまけに死と隣り合わせの過酷な旅へと出ざるを得なくなってから、陽子は目まぐるしく変貌を遂げていきます。
信頼していた人に次々と裏切られ、さらに蒼猿の幻影に惑わされて、陽子はしだいに疑心暗鬼に陥っていく。遂には自らを「獰猛な獣」と自覚するまでに至り、かつては無知で無力だった少女が、誰一人信用しようとしない邪悪な人間になってしまう様は、何故か他人事だとは思えない。それが『十二国記』の不思議な点です。ありえない設定なのに、どうしても共感して、「もし私がこんな目に遭ったら…」と考えてしまうのです。
自分が生き延びる為ならば他人を騙し、傷つけることさえ厭わない――と考えていた彼女が、やがて楽俊という半獣に出会ったことをキッカケに善の心に目覚めていくシーンは、とても気分が盛り上がりました。
『月の影 影の海』下巻で、陽子が楽俊を見捨て、すぐに後悔して、蒼猿の誘惑を断ち切るシーンは、かなりのお気に入りです。人を信じることは、悪いことじゃないよね。
熾烈を極める旅を経て、陽子はやがて心身ともに強く成長します。ええ、本当に強くなりました。
男口調を使うし、常に男装に身を包んでいるし、度胸が据わっているし、いつのまにか天下無敵の剣客になるし……かつての面影が全くありません。
『風の万里 黎明の空』では、暴れん坊将軍の如き活躍を見せてくれて、ますます惚れましたv。(女だけど…)
禁軍の頭上で景麒に跨ったまま、「余の顔に見覚えはないかァ!?」(言ッテナイ言ッテナイ)と叫び、それを見た兵士達が「へへェ~」と頭を下げる――何度読んでも痛快だ☆
外見は美しい筈なのに、本人はそれを全く気に留めず、意外と天然ボケなところが可愛らしい。
陽子は、景麒に似て生真面目で愛想が悪いところがある(勿論景麒ほどではない)ものの、それも彼女の魅力。
あまりに男っぽいので、男に見間違えられることもしばしばある陽子。とても頼り甲斐があって、強くて、逞しくて。「女王」というより「王」という印象がとても強い方です。王は王でも「覇王」といったイメージ。でも平和をこよなく愛する、という感じで。
暴れん坊将軍の如く、陽子は庶民に身をやつして正体を隠し野に下り(決して尚隆のように遊び目的ではない)、王である自ら内乱を鎮め、さらにずっと欲しいと切望していた味方を得、さっそく賢君としての兆を見せ始めます。
陽子には、できれば延王尚隆や宗王櫓先新のような、治世が500年も600年もいくような王になってほしい。
『帰山』などによると、王も所詮は人間で、生きることに飽いてしまう――だからこそ、どれほど賢君としての素質を持っていても、治世が長く続かないこともある。
十二国の中で最も治世の長い先新と、その次に長い尚隆を見てみると、前者は家族による合議制で和気藹々と国を治め、後者も優秀な官吏に政務を任せて日々脱走劇を繰り広げ、いずれも人生を楽しんでいるというイメージ。
王は、ただ賢君としての素質があるだけでなく、それなりに余裕を持たなければいけない。それが秘訣なのでしょう。
けれども陽子は、彼らのように人生を楽しむ余裕はない。根が実直なものだから、すぐに一人で問題を抱え込み、苦悩してしまう。世間知らずだということも彼女の悩み。
桓魋と剣の稽古をしてストレスを発散しているらしいが(この組み合わせも好きだ…)、それでも悩みは消えないでしょう。尚隆のような呑気さがあったらまだ良いであろうが。
こうした陽子の性格を考慮してみると、先代の采王砥尚や峯王建仲韃のような清廉潔白で真面目すぎたが故に道を悖ったタイプとよく似ていることが分かる。
つまり放っておけば、陽子は既に世を去った二王と同じ道を辿ることになる――と。
しかし、陽子は、自身の力で見出しました。共に支え合える仲間達を。
彼らがいる限り、陽子は決して道を見失わない。彼らは強い絆によって結ばれ、互いの足りない部分を補い合って生きていく。実際、『黄昏の岸 暁の天』で、そうした慶国の新たなあり方が描かれているし。
陽子のこれからが楽しみです。