昨夜、アニメ版『十二国記』の第ニ作『風の海 迷宮の岸』のDVDを観ました。
実はこの物語を観るのは、今回が初めてというわけではありません。以前にも観ました。勿論、原作も何度も読みました。つまり、内容を熟知しているということですね。
それなのに、
思わず涙ぐんでしまった。
『風の海 迷宮の岸』そのものは、原作では一応ハッピーエンドなのですが、アニメではあくまでの過去の回想として描かれているので、泰麒は既に消失した後ということが予め語られます。それだけに、あのときあれほどの幸福に満ち溢れていた「過去」と、シリーズの外伝『魔性の子』自分のいるべきでない場所で異物のように扱われ人々から拒絶されて自分も周囲も不幸に染まっている「現在」の違いは、痛ましくて悲しい。何故、あんなに可愛くて心優しくて純粋だった泰麒が、苦しまなければいけないのか――あらゆる偶然が「天意」という言葉で片付けられる十二国世界において、果たしてそれは彼に課せられた試練なのか? だとしたら、なんてあまりにも惨い試練なんだろう――と、思わずにはいられない。そう…だから泣いてしまうのです。
10歳当時の泰麒は、本当に愛らしい。一人ぼっちの食事を寂しく思っていたけれど女仙達と一緒に食事ができることになって無邪気に喜ぶシーンや、ジラフと麒麟を勘違いして自分の首を一生懸命伸ばそうとしているシーンなど、くるくると変わる彼の表情には思わずときめかずにはいられません。あの可愛らしさは反則ですよ。
あと、更夜。原作では『風の万里 黎明の空』と『図南の翼』のみにしか登場しない更夜が、アニメ版の『風の海 迷宮の岸』には現れました。それも、犬狼真君として。このときは既に500歳以上は年をとってしまっていますね。でも相変わらずお美しくいらっしゃった…。しかも初登場シーンでは、泰麒が水浴びしている泉の水を竹筒に汲んでいました――恐らく飲み水用として。まぁ、ほんのちょっとだけ…「変態…?」って思っちゃったけど、それでも私は彼が大好きです。あの声を聞くだけで胸がときめきます。うん、声が凄く良いよね。なんていったって石田さんだもの…。男とも女ともつかないほどに中性的で、胸にしんみりと響く声です。惚れちゃいます。
幼い泰麒の葛藤の終わりは、祝いにやって来た延王尚隆と延麒六太によってもたらされます。泰麒の為に一芝居する筈が、すっかり悪役に浸りきっている尚隆。その尚隆を容赦なくド突く六太と本気で怒る景麒。尚隆曰く、「麗しき同族愛」と。本当に麗しい。六太はなんだかんだ言ってお兄さんだもんねぇ~。
ただ、やっぱりまた涙ぐんでしまう。ほっと安堵し、無邪気に笑う泰麒――『風の海 迷宮の岸』での心穏やかな日々と『魔性の子』での戦慄の日々。そのあまりのギャップが、切なすぎます…。